電車の飛び込みに「いい加減にしろ」と感じる5つの理由

電車の飛び込みに「いい加減にしろ」と感じる5つの理由

みなさんのなかには、通学や通勤の途中で人身事故が発生して、嫌気が指したことのある人たちもいるはずです。たしかに、大事な用事を前にして電車が止まってしまうのは非常に迷惑ですよね。なかには、「いい加減にしろ」と怒りがこみ上げてしまうおそれがあります。

けれども、大切な命が自死によって失われることに対して、お悔やみの気持ちよりも「勝手なことするなよ」という感情が先に生まれるのも何だか切ないですよね。実際、そこには、どのような気持ちが生じているのでしょうか?

この記事では、電車飛び込みに「いい加減にしろ」と感じる5つの理由について解説しています。また、日本国内における人身事故の発生件数も紹介しているので、興味のある人たちは参考にしてみてください。

目次

電車飛び込みに「いい加減にしろ」と感じる5つの理由

さて、電車の飛び込みに対して「いい加減にしろ」と感じるのは、どうしてなのでしょうか?

一概には言えませんが、ここでは考えられる5つの理由を説明していきます。

理由1 他人に迷惑をかけるな

いうまでもなく、電車への飛び込みは、運行に重大な影響を及ぼします。一度発生すると、最低でも数十分、場合によっては数時間の遅延が生じることもあります。その影響で、重要な商談に遅れる人、病院の予約時間に間に合わない人など、数千人の予定が狂うことになります。

また、遅延による経済的損失も看過できません。企業にとっては、従業員の遅刻による生産性の低下や、取引先との約束が果たせないことによる信用失墜など、目に見えない損害も発生しています。さらに、鉄道会社は運行再開までの間、振替輸送の手配やお客様への案内など、多大な労力と費用を投じることになります。

特に、深刻なのは、救急搬送や医療従事者の通勤にも影響が及ぶことです。緊急性の高い患者の搬送が遅れたり、医療スタッフの勤務交代に支障が出たりすることで、人命に関わる事態に発展する可能性もあるのです。

したがって、「いい加減にしろ」という感情の裏には「他人に迷惑をかける行為は控えろ」という気持ちがあるわけです。ドライな見方のなかには、「死にたきゃ一人で死ね」というショッキングな考え方も存在します。

理由2 飛び込み自殺が多すぎる

飛び込み自殺は年間で数百件単位で発生しています。この数の多さは、社会全体で取り組むべき深刻な課題となっています。とりわけ、都市部の路線では、月に複数回発生するケースも珍しくありません。

自殺予防の専門家によれば、電車への飛び込みは、衝動的な判断によるものが多いとされています。そのため、ホームドアの設置や警備員の配置など、物理的な防止対策が進められています。しかし、全ての駅への導入には莫大な費用がかかるため、完全な防止は難しいのが現状です。

このような事情から、電車を利用している人たちは「またかよ」という気持ちになってしまうわけです。

理由3 本当に大切な用事があった

就職面接や入学試験など、人生の岐路となる重要な予定があった人にとって、突然の運転見合わせは致命的です。一度きりのチャンスを逃してしまうことも少なくありません。

また、結婚式や葬儀など、人生の大切な節目となる行事に参列できなくなってしまうケースもあります。これらの機会は二度と戻ってこないものばかりです。そのような大切な機会を奪われることへの怒りは、決して小さくないのです。

たった1本の電車が遅れるだけで人生が台無しになってしまうこともあります。その被害を受けた側からすれば、「いい加減にしろ」なんかでは生易しく、「責任を取ってくれ」という感情がわくのも無理はありません。

理由4 日々の仕事に忙殺されている

多くの通勤者は、すでにギリギリの時間で動いています。残業や早朝会議など、余裕のないスケジュールを組まざるを得ない状況で、予期せぬ遅延は大きなストレスとなります。

特に、子育て世代の方々にとって、通勤時間の遅延は深刻な問題です。保育園のお迎えに間に合わない、子どもの学校行事に遅刻してしまうなど、家族との大切な時間が奪われることになるのです。

心理的にやることでいっぱいな状態の人からすれば、「人身事故」という命が失われる重大なトラブルでも「迷惑だ」という感情になるのです。

理由5 飛び込みを見てトラウマを抱えている

実際に、飛び込み事故を目撃してしまった人の中には、深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症するケースがあります。乗務員や駅員の方々も同様です。心の傷は、長期にわたって影響を及ぼすことがあります。

医療機関によると、このようなトラウマ体験は、不眠や食欲不振、フラッシュバックなどの症状を引き起こす可能性があります。とりわけ、電車の運転士は、一度でもそのような経験をすると、その後の業務に大きな支障をきたすことがあるといいます。

日本国内における人身事故の発生件数

内閣府の調査によれば、令和4年の鉄道における人身障害事故は約320件発生したと報告されています。これは前年より20.3%多い状況です。その多くが首都圏の主要路線に集中しており、通勤時間帯での発生が目立ちます。この時間帯は、一件の事故が数万人に影響を与える可能性があり、社会的損失は計り知れません。

また、路線別の統計を見ると、乗降客数の多い主要路線での発生率が高いことがわかります。これは、多くの人々の目に触れやすい場所が選ばれている可能性を示唆しています。

さらに注目すべきは、事故発生時の社会的コストです。国土交通省の試算によると、一件あたりの人身事故による経済損失は、直接的な損害(運行遅延による損失、振替輸送費用など)だけでも数百万円に上るとされています。これに加えて、乗客の労働損失や、事故処理に関わる人件費なども考慮すると、その影響は計り知れません。

特に深刻なのは、このような事故が連鎖的に発生することです。一路線での人身事故が、他の路線や交通機関にも波及し、首都圏全体の交通網に支障をきたすケースも少なくありません。その結果、バスや地下鉄といった代替交通機関にも大きな負荷がかかることになります。

人の死が軽くなっている

だれだって予定が狂うのは迷惑に違いありません。特に、移動手段が制限されるのは、大きなストレスになります。けれども、それが人身事故、なかんずく自殺によるものだった場合、人が死んでいるのにもかかわらず「いい加減にしろ」と感じる状態もまた異常に違いありません。

もちろん、見ず知らずの他人が死んだうえに乗れるはずだった電車に乗れなくなったのですから、文句のひとつも言いたくなるのは十分に理解できます。それが人生を左右する大事な用事だったのなら、尚更です。しかし、「人が死んだ」という現象に対して自分の利益が傷つけられたことが真っ先にくるのは、それだけ社会全体で人の死が軽くなっている証左である気がしてなりません。

自殺するような環境に追い詰められたのは、本人の責任もあるかもしれません。しかし、社会に全く非がないわけではないはずです。すなわち、人身事故を起こさせたの私たちが生きる時代という見方もできないこともありません。人に迷惑をかけない死に方を選ぶのが大事なんていう世界に未来があるとは思えません。

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この記事を書いた人

IKITECH編集部は交通(電車・SUICA・新幹線・飛行機)や郵便などの生活インフラを専門領域に記事形式で情報を伝達するプロフェッショナル集団です。生活インフラ分野に知見のあるライター、編集者、研究者、校閲者から構成されたチームで記事を制作しています。

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